エンディングD
ビオリストが拘束された
疑念と恐怖の混じった視線にさらされて、僕は思わず息を呑んだ。
ビオリスト「僕が犯人だって、みんな本気でそう思ってる?」
自分が思った以上に剣呑(けんのん)な声が出てしまって、少し驚く。
どうやら、僕は怒っているようだ。それも、信じられないほど強く。
ふざけるな、と思う。僕は、何があっても彼女を殺すことなんてしない。
ヴァイオリニスト「それは、自分が誰も疑っていない時に言える言葉だ」
ガツン、と頭を殴られる音がして、僕は思わずうなってしまった。
ヴァイオリニスト君の言っていることは、正しい。疑うなら、疑われても仕方がない。
そして、僕はこの中に犯人が居ると疑ってしまっているのだ。うなだれる僕を見かねたのか、ピアニストさんが僕をかばうように言ってくれた。
ピアニスト「……でも、証拠があるわけじゃないから。これ以上は追及しても仕方がないし」
ピアニストさんの顔色は、悪い。青白すぎて、今にも卒倒してしまうんじゃないかと思うほどだ。
そんな状況でも僕を守ってくれようとしているのは、マネージャーさんと僕の仲が良かったからだろうか。それとも、別に意図があるのだろうか?
チェリストさんは、極限まで緊張した様子で視線を彷徨わせている。事の成り行きを見守るようなその態度は、とても犯人らしいとは思えないけれど、絶対ない、とも言いきれない。
ヴァイオリニスト君に指摘されたばかりで、また犯人捜しをしてしまっていることに気付いたが、しかし、止められない。僕はマネージャーさんの仇を討ちたい。できれば、僕自身の手で……。
コントラベーシスト「犯人が誰かは一旦置いといて、伝説の楽器はどうするんだよ?」
チェリスト「……結局、ただの都市伝説だったって……ことですかね」
張りつめていた空気が緩みはじめ、ヴァイオリニスト君がポケットからスマートフォンを取り出し、警察に連絡を入れると宣言した。内心焦ったものの、反対するのも不自然だ。
僕は了承しながら、内心で考えた。犯人が捕まる前に、僕がマネージャーさんの仇をあぶりだす。
なんとしてでも……。
――
数日後のネットニュースに、センセーショナルな記事が躍った。
「新進気鋭の音楽グループ『ゴーストプレイヤー』。
嵐の中の殺人! 犯人は同グループメンバーか?」
事件は、山奥の音学校、SOR学園の一室で起こった。
配信サイトから著名になり、若者に人気を博していたクラシック音楽グループ
『ゴーストプレイヤー』のマネージャーが、何者かに殺害されたのだ。
事件発生当時、現場であったSOR学園は台風の影響で生徒、教員共に
帰宅済みだったらしく、同グループメンバーしかいなかった。
警察では、メンバー内に犯人がいると断定し捜査を進めている。
事件発生より以前、同グループの様々な悪評が国内音楽界に広まっていたらしい。
マネージャーによる、音楽界有力者に対する脅迫、グループ内メンバーのひとり
コントラベーシストの暴行など、調べれば調べるほどきな臭い話が掘り起こされている。
また、事件発生より3日後、グループメンバーであり、殺されたマネージャーの
幼馴染でもあるピアニストが自殺したという報告が行われている。
マネージャーとピアニストは非常に仲が良く、その関係性は一般的な友人関係の範疇を
逸脱(いつだつ)していたと噂される。マネージャーの死を苦痛に思っての後追い自殺の可能性が高いとして捜査本部は調査をおこなっている。
今後、この事件について、SOR学園への責任問題も含めて調査が進められる方針である。
――
あらすじ
マーダーミステリー、SOR学園「ゴーストプレイヤー」をプレイしていただき、ありがとうございました。
本作は「SOR学園」と呼ばれる大きな設定の中で、マーダーミステリーのシナリオを組み上げた作品です。
前作「無人の放送室」の反省を生かし、シナリオの重厚さを意識して作成してありますが、お楽しみいただけたでしょうか?
「楽しかった」と思っていただけた方には、是非とも前作「無人の放送室」、そしてこれから作成される予定の「SOR学園シリーズ」をプレイしていただければ幸いです。
さて「ゴーストプレイヤー」のシナリオについて、作中では説明できず、またライター個人的にどうしても説明しておきたいと思ったことを書かせていただきます。
今作の犯人である「ピアニスト」。
彼女は「マネージャー」のピアノ演奏に対して「自分よりも上手である」という感想を抱きました。
しかし「ビオリスト」のハンドアウトにもあるように、実際には「ピアニスト」の演奏の方が優れている、という設定となっております。
この差異はどうして生まれたのか……個人的な価値観ではありますが「芸術の価値とは、作者、奏者、演者等への評価によって変動する」と考えており、ピアニストとビオリストの認識の違いもここから生まれています。
そもそも、大前提として芸術とは「どのような方向であれ、人の心を動かすもの」であり、時として作者への評価が「感動」そのものに影響を与えることは疑いようがないことだと思います。
例えば、偉大な芸術家が描いた数億円の絵画よりも、子供がお母さんのために描いた似顔絵が、より大きな感動を与えることがあります。
この瞬間、状況を限定すれば、その不格好な似顔絵は、芸術家の名作を超えうる……というのが私の考えです。
翻って「マネージャー」の演奏が、なぜこうまで「ピアニスト」を感動させたのか。
それは「マネージャー」が常に「ピアニスト」を想い、「ピアニスト」のために生きる信奉者であり、「マネージャー」の演奏は常に「ピアニスト」に捧げられたものであるから、というのが理由になります。
お母さんの為に描かれた似顔絵が、お母さんだけには特別な宝物になるように、ピアニストに捧げられた演奏もまた、彼女にだけ特別な感動を与えることに成功した、ということです。
「作者への人格や経歴的な評価が、そのまま作品の完成度に影響する」と言い切る以上、私もライターとして未熟ではありますが、最低限、善良な人間であることを心がけながら、今後も活動を続けていきたいと思います。
今後とも、私達の活動を応援いただければ嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。